シーバス界のレジェンド「村岡昌憲(50歳)」さん!
90年代から雑誌やインターネットの世界でシーバス情報を発信し続け、その世界で一躍有名となった村岡さん。
日本一の激戦区“東京湾奥”を代表するプロアングラー。
今や釣りビジョン「Seabass Journey」という自身の番組を持ち、自身のルアーメーカー「BlueBlue」を立ち上げて、今年11年目。
そんな村岡昌憲さんの経歴・年収・家族・ルアー会社・エピソードについて解説していきたいと思います。
村岡昌憲さんのプロフィール!
村岡昌憲さんの経歴とご家族について簡単にご紹介します!
▼釣り好き少年のシーバスとの出会い
- 1972年10月東京江東区に生まれる。現在50歳。
- 小学校の頃、荒川の近くに住んでいたので、自転車で荒川に行きハゼ・カレイ・アナゴを釣っていた。
- 高校2年の7月頃に葛西橋の所でハゼを釣っていたら、ルアーマンがきてシーバスを釣り上げた。それに衝撃を受けて、フックサビサビのラパラを投げたら五投ぐらいで釣れて、ルアーでのシーバス釣りにハマった。
- 1990年18歳の時に、消臭剤や脱臭装置の製造販売会社の株式会社カルモアを作る。現在売上高9億円で、この分野でアジアトップクラスとなる。
- 1992年20歳の時にシーバス関連の情報を当時の「ルアーフィッシング情報」(現在ソルティ)に投稿していた。すると「釣り場速報」の連載の話がきて原稿を書き、プロとして初めて原稿料をもらった。
▼本業のかたわらプロアングラーになる。
- 1997年25歳でメガバスの初めてのソルトのテスターになる。プロキャリアが始まる。この頃にはシーバスガイドもするように。
- 1997年に情報を発信したいのに雑誌では中々取り上げてくれないので、インターネットも始まり自分で「東京湾奥シーバス情報」というHPを立ち上げた。それが凄いアクセスを誇った。
- 2000年頃には雑誌の表紙を飾るような、シーバスフィッシングの第一人者として認められる。
- 大野ゆうきは村岡さんが自分の弟子を募集した時に、大手釣具メーカーの内定を断ってやってきた。
- 2010年にアングラー向けのSNSの「fimo」を立ち上げ、収益化できるように四方八方をかけづり回る。
- 2011年、ついに自身のルアーメーカー「BlueBlue」の設立し、6年目ぐらいから経営を軌道に乗せる。
- 村岡さんがいつ結婚したかは不明ですが、お子さんが二人。長女と長男がいます。Instagramに奥さんは登場しませんが、子供はよく登場します。
村岡昌憲のエピソード集
村岡昌憲さんの釣り関係、自身のオリジナルメーカー『BlueBlue』など、面白エピソード&興味深いエピソードを掘り下げて紹介します。
25歳でメガバスとの契約の経緯
雑誌に記事を書いていて、その道ではちょっとは知られていた頃の話。
メガバスの「マーゲイ」というシャッドを使って、他の人がつれてない中で爆釣していた。しかし、当時はメガバスが大人気。中々ルアーが手に入らない。
その愚痴を北砂にある釣具屋のサンライズの店長そめやさんにいっていました。
するとそめやさんが、メガバスの営業担当に釣りの上手い青年が、せっかく爆釣してるのにルアーが手に入らないって怒ってることを伝えてくれ、自分とメガバスの営業担当を引き合わせてくれることに。
その後、営業の方から「じゃあその釣り見せてほしい」といわれ、実際に釣り上げたことから凄いとなり、メガバスとソルト分野のアングラーとして初契約。
初めてプロとしてスポンサー契約を結びました。
初めて釣りで涙を流した時
釣りビジョンの番組「シーバスジャーニー」での出来事。この番組は全国の河川や海を周り、シーバスを狙う番組。
今の時期に釣るのは難しいと事前情報がある中、山口県で3泊4日とスケジュールで釣行をしました。
初日、関門海峡でやったけど全然つれず、そしてポイントを変えても釣れないまま、四日目にもう撤収するかというタイミング。
三泊も時間とってもらって、色んなメーカーがスポンサーに付いてくれ、視聴者も楽しみにしている番組で、釣れなかったら大変なことになるという、プレッシャーに押しつぶされかけていました。
最終日のデーゲームに半分あきらめながら「APIA」のメタルバイブを磯の先端から投げまくってたら、なんとラスト1時間でなんとか釣れた。
思わず安心して泣いてしまったそう。
大野ゆうきとの出会い
メガバスと自分を引き合わせてくれた、釣具屋のサンライズのそめや店長に、とあるメーカーから村岡さんみたいな人はいませんかといわれ、村岡さんに相談。
村岡さんは自身の周りに釣りの上手い若手がいなかったので、自分の後継者を探すため、HPでオーディションを開催。
36人きて、書類選考や面接などを重ねて、最終的に「大野ゆうき」を選んだ。当時大学生の大野さんは既に「シマノ」に内定をもらっていて、それをやめて弟子入りしました。
村岡さんいわく「東レやDAIWA等を紹介するなどプロになる道筋はつけたし、どうすればプロとして生活できるか、テクニックやそのブランディングまで教えたが、大野ゆうきはどんなきつい環境の中でも、フィールドにでて、ブログを週6で書くなど凄い努力家だった」とのことです。
村岡さんはシーバスにPEを使う先駆者
当時新素材のPEに一回目の使用で衝撃を受けて押していたが、当時はナイロンがルアーフィッシングの全盛期だったので全く浸透しませんでした。
当時連載していたシーバスマガジンでは、どのラインを使うかで、原稿を書くプロアングラー同士が文章内で議論しあっていました。
その後、東レとシーバス専用PEを作り、それが初回出荷から凄い売れ、一躍シーバス=PEというのがメインストリームに。
ちなみに東レとの出会いは東レの本社で働いていた人が友人にいて、その人が結びつけてくれました。
村岡昌憲の会社経営
村岡さんには会社経営者・優秀なビジネスマンという側面があります。
●株式会社カルモア
1990年の18歳の時に作った消臭剤や脱臭装置の製造販売会社&商社の「株式会社カルモア」。40名の社員をかかえ、現在売上高9億で4年連続増収と絶好調。
●fimo
2010年に自身の大人気サイト「東京湾奥シーバス情報」から発展させた、釣り人のための釣り専用のSNS『fimo』というサービスを立ち上げ、こちらも収益化に成功。
●BlueBlue
2011年、自身のルアーメーカー「BlueBlue」の設立し、初めから自社工場を作るなど、紆余曲折ありながらも6年目ぐらいから経営を軌道に乗せる。今や人気ルアー会社の一つに数えられます。
村岡昌憲さん年収について
年収予想『1億3,000万円以上』
正直村岡昌憲さんのInstagramをみてくれればわかると思いますが、納税限度額が600万以上となります。ピンとこないと思いますが、これは年収が1億3千万円以上ないと成立しない金額。
下記になんとなく思い当たる収入源を書いてみました。
自身の経営する会社
2つの会社を経営。
創業30年売上9億以上をほこる商社兼製造会社の「カルモア」は、現在社長の座は後進に譲り、株主&役員という立場。
創業11年目のルアーメーカー「BlueBlue」は自ら社長として率いて、釣り人に支持され絶好調。売上だが4億ぐらいと計算。
合わせて13億の会社なので年間1億1,000万円と予想。
ちなみに同業メーカーの売上
・ジャッカル42億円(2021年度)
・ティムコ10億円(2021年度)
・DUO20億円(2020年度)
・メガバス売上13.4億円(2015年度)
スポンサー契約金&ロイヤリティ
●スポンサーは全部で5社
•メガバス株式会社
•グローブライド(DAIWA)株式会社
•株式会社アピア
•邪道(谷山商事株式会社)
•東レインターナショナル株式会社
契約金とロイヤリティ収入が入ってきてると想定。さらに村岡さんのプロデュースルアーは人気で、特に邪道の「スーサン」「ニーサン」、メガバスの「X80SW」「ワンテン」、東レではシーバスPE。
などヒット商品を量産。ということでロイヤリティの大きさ等を考えると、年間2,000万円(ロイヤリティ含め)は貰えるのではないでしょうか。
メディア・雑誌・YouTube出演等
YouTubeチャンネル、雑誌とテレビなどのメディア関係、イベント関係の収入は年間200万ほどと予想。
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